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20年を過ぎた団地住まい。 1970年映画【家族】吾が人生と.....

 昨日山田洋次作品【家族】を初めてDVDで観た。少しだけあらすじを聞いていたけれど、改めて高度成長期の製鉄所、石船夫婦家族の映像をみて自分はあの頃、、1970年頃の映像に、若かりし、思い出がよみがえってきた。

1970年といえば私は前々年に名古屋から徳島にUターンし、翌年地元の会社に就職した翌年だ。1970春、大阪万博は映画でも北海道へ新天地を求め旅の途中途中立ち寄った場所としてあの太陽の塔付近のごった返す映像が記録されている。

映画でもうひとつ凝視したのは私が現在居住している福山市。福山駅や当時東洋一の巨大製鉄所といわれた日本鋼管福山工場(JFE)とその従業員の住む団地が駅から家族5人と弟、前田吟の運転するスズキフロンテに乗って山を崩し出来たばかりの広大な団地までのドライブ風景が懐かしくもよみがえった。あの時自分が乗っていた車はローンで買ったホンダN360だったとか仙台から赴任してきた上司がフロンテだったとか若かりし思い出がダブって見える。 

その頃、私はまだ徳島勤務で会社は県別の独立会社だったので転勤があるとは夢にも思っておらず、名古屋からのUターン人生を楽しんでいた。43年程前である。しかし会社は急成長し、四国統合され数年後には全国1社体制となった。転勤を受け入れざるを得なくなり、以後転勤を繰り返しいつの間にか、それから15年後、福山に居住することになり、子らも福山で小学校から育ち、映画で出てきた日本鋼管近くの団地ではなく尾道寄りの団地に居住し、早20年となった。

昨年夏には映画【家族】のたどり着いた中標津に近い標津サーモン科学館、国後を望む、尾岱沼あたりも訪づれた。映画の雪が融けかかった春間近、厳しい中標津の風景とは異なるが茶内の展望塔から観た穏やかな緑一面の広大な開拓農地であった。放牧されている乳牛は今も昔も変わりは無いのだろうが。

旅の途中の東京で赤子が、笠智衆のおじいちゃんはたどり着いた中標津の歓迎会での晩に死ぬ。悲惨を極める井川比佐志、倍賞智恵子夫婦と家族。夏になりようやく花が咲き乱れ、子牛が誕生、これから明るい兆しが見えるところで映画は終わる。

 あれから43年後の2013年。6歳くらいだった息子は50歳になり数十ヘクタールの農場を経営する大牧場主となり、80歳を越えた夫婦はたくさんの子や孫に囲まれ夢と希望を与えてくれた北の大地にしっかり根を下し、幸せな人生を送っている。  に違いない。

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