2015年03月 | ARCHIVE-SELECT | 2015年05月

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子どもの頃のラジオとテレビ

 物心が付いた頃に家にはST管の5級スーパーがあった。結構感度が良くて夜間になると東京や鹿児島の放送局も受信できた。小学高学年にはBCLってのをやっていた事を思い出す。綺麗なカラー印刷されたベリカード(受信証明書)をもらう趣味だ。

鉱石ラジヲを買ってもらい、改良しゲルマニュームのSD46に交換し、クリスタルスピーカーを付けて山に登ると大きな音で鳴ったのに感激した。こういう情報は小学校の図書室に置いてあった、"子供の科学"という雑誌。今でも発刊している。

テレビが家に来たのは皇太子ご成婚の年、昭和34年の正月だった。テレビもまだ真空管でターレット型チューナーでまだリモコンなどは無い。あるときテレビが故障して東芝のサービスマンがやってきた。ちょいちょいと手際よくシャーシーをひっくり返し分解したと思ったら、真空管を交換しあっという間に修理が終わった。中学2年生?だったと思う。

こんな事が、電気の分野を仕事とするきっかけだった。
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| 社会と暮らし | 21:29 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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子どもの頃の田舎の保存食

 子どもの頃田舎で作っていた保存食

味噌、豆腐、タクワン漬けなど漬物類

豆腐を作っていたのを手伝ったことを思い出した。
煮た豆を重い石臼で挽く。豆乳にする前の段階。

豆腐を固めるのに使う、苦汁は自家保存の塩瓶の底に溜まったものだったように思う。
塩は高さ1メートル程もある(と思う)大瓶に載せた胴長の竹かごに大量に保管していた。
今、思うと多分漬物にも大量に使うし、にがりを取るのにその様な保存方法をしていたものと思う。

たくさん取れた大豆を年に数回とかで多分ご馳走だったと思う。豆腐を作った後は
おから料理をたくさん作っていた。おいしかった記憶はないけれどなつかいい味だった様に思う。

味噌も作っていた。それも大量に。子どもの身長ほどもある大瓶が何個も並んでいた。
作ったばかりの白いものやもう真っ黒に変化した物まで。
たしか、味噌作りの過程で出来る、ひしお?が甘いので内緒で食べた記憶がある。

味噌作りのためにこれまた大量のもろぶたに米麹を作っていた。甘くてこっそり布団をまくって食べていた記憶が蘇る。甘いものといえば芋飴も作っていた。芋は冬にも食べられる様に床下に穴を掘った籾殻に埋めて保存していた。

他にも芋、豆類はたくさん作っていたので様々な食べ方をしていたと思い出す。フライビンズを作って食べた。

昭和30年前後の話。
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| 料理寿司 徳島郷土料理 | 12:18 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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